世界遺産モデルコース(産業革命遺産)

2日で巡る!企画担当者のレポート!
長崎にっしょうかん、梅松鶴、紅葉亭から行ける「明治日本の産業革命遺産」!
にっしょうかんで長崎の夜景を堪能したあとは、長崎の歴史・世界遺産を散策しませんか?
モデルコースをご紹介いたします。
 
 
長崎にっしょうかんの観光チケット付きプランいろいろあります。

軍艦島(端島炭坑)(※悪天候時はツアー中止)
見学イメージ

軍艦島ツアー(端島炭坑)HP

端島(はしま)は、長崎県長崎市(旧高島町)にある島です。
明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄え、東京以上の人口密度を有していましたが、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島になりました。
軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られています。(要予約)
(見学可能エリアのみ公開中/上陸クルーズに参加必要)

 

軍艦島(端島炭坑)
 


<行き方>
★長崎駅から市電1番「正覚寺下行き」に乗り「築町」下車、乗換券をもらって反対側の停留所から市電5番「石橋行き」に乗車、「大浦海岸通」で下車、常磐ターミナルから軍艦島ツアー船が運行
 


グラバー園 開館時間:8:00~18:00(無休)

グラバー園(旧グラバー住宅)HP

木造平屋建、屋根は多角形の寄棟造、桟瓦葺き、建築面積510.8平方メートル。附属屋は木造平屋建、桟瓦葺き、建築面積129.2平方メートル。
居住者のトーマス・ブレーク・グラバー(1838年 - 1911年)はイギリス人商人で、安政6年(1859年)の長崎開港直後に来日。グラバー商会を設立して茶や絹の輸出と船舶・武器の輸入に従事し、薩摩藩、長州藩や後の明治政府の要人らとも関係が深い人物です。
グラバー園(旧グラバー住宅)親日家であったグラバーは日本人女性ツルを妻とし、明治44年(1911年)に没するまで日本にとどまりました。

<行き方>
★長崎駅から市電1番「正覚寺下行き」に乗り「築町」下車、乗換券をもらって反対側の停留所から市電5番「石橋行き」に乗車、「大浦天主堂下」・「石橋」で下車、徒歩約15分
 


煉瓦造りの機械室(※曳揚げ小屋の内部は非公開)

小菅修船場跡(西洋式ドック)

1868年(明治元年)12月に完成した日本初の西洋式ドックです。小松清廉や五代友厚、トーマス・グラバーらが計画して造られました。翌年、明治政府が買収し、長崎製鉄所の付属施設となります。所長は平野富二。
小菅修船場跡(西洋式ドック)1884年(明治17年)、三菱所有となり、現在の三菱重工業長崎造船所の礎となっています。

<行き方>
★長崎駅・長崎バス野母半島方面(戸町経由)15分、「小菅町」で下車、徒歩5分

 


高島炭坑(現代)
高島炭坑(昭和39年ごろ)

高島炭坑(高島公園)

高島炭鉱の歴史は、1695年(元禄8年)に平戸藩領松浦郡江迎の五平太が石炭を発見したことが始まりとされ、その後幕末に佐賀藩とトーマス・グラバーが共同出資で採掘を始めて、グラバーの別邸の遺構もあります。
明治に入り佐賀藩から後藤象二郎が買い上げ操業を開始し、英国人鉱山技師エラスムス・ガウワーが近代化を試みますがうまくいかず、同じ土佐藩出身の岩崎弥太郎率いる三菱財閥に権益を譲り、本格的に採掘が開始されました。
以来近郊の伊王島・端島の炭鉱とともに西彼杵炭田の一角として1世紀以上にわたって日本のエネルギー経済を支え続けました。
その後1966年(昭和41年)に採掘量のピークを迎えますが、石炭から石油へのエネルギー転換のあおりを受け採掘が減少、1985年の粉塵爆発事故という追い討ちもあり、1986年をもって閉山となりました。
沖合いには、「軍艦島」が望めます。
(島内散策・見学無料、島への船代必要/要予約)

<行き方>
★長崎駅から市電1番「正覚寺下行き」乗車、「大波止」下車徒歩5分の長崎港から高速船「コバルトクイーン - 鷹巢(たかす)・俊寛(しゅんかん)」で約35分、高島港ターミナルから高島公園までは徒歩25分
■野母商船グループのHPはこちら >>
 


(見学無料・資料館として公開中/事前電話予約)

長崎造船所 旧木型場・資料館

旧木型場は、1898(明治31)年に鋳物工場に併設する「木型場」として建設されたもので、長崎造船所に現存する最も古い建物です。この建物は、屋根を支える小屋組みのトラスが特徴的な二階建煉瓦造りで、明治30年代に建造された現存する木型場としては国内で最大規模です。
木造のクイーンポストトラスの小屋組み、屋根は切妻造桟瓦葺で、一階中央部は木製の柱で支えられています。
長崎造船所 旧木型場・資料館

<行き方>
★長崎駅から立神・西泊・神の島行きのバスで「鮑の浦」下車、「資料館門」から入場

 


長崎造船所本館(右上の白い建物)

三菱長崎造船所

長崎県長崎市にある本工場(長崎造船所)、香焼工場、幸町工場と、諫早市の諫早工場からなります。大型客船や大型タンカー、LPG船等の船舶のほか、発電プラント、環境保全設備、海水淡水化プラント等、多岐にわたる製品を製造しています。
本工場(長崎造船所)は、1857年(安政4年)に日本初の艦船修理工場「長崎鎔鉄所」として誕生し、江戸幕府から明治政府に管理が移った後、1887年(明治20年)三菱に払い下げ、以後民営の造船所として多数の艦船を建造しました。
戦艦「武蔵」を建造したことでも有名です。(現在非公開)


長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン

ジャイアント・カンチレバークレーンは同型としては日本に初めて設置された最新式電動クレーンで、英国アップルビー社で製造されました。クレーンは150トンの吊上能力を持ち、大型重機の荷重に耐え、電動モーターで駆動するもので、英国マザーウエル社が仮組、解体の上輸送し、1909(明治42)年に長崎造船所飽の浦岸壁に再組立てし竣工しました。長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン

英国人技師ガードナー・ロジャーがマザーウエル社から派遣され、クレーン設置工事の監督及び技術指導を行いました。
(現在非公開施設)

 


長崎造船所 占勝閣

占勝閣は三菱重工業(株)長崎造船所構内本館社屋の海側、第三船渠を見下ろす丘の上に立地する木造洋館です。
1903(明治36)年に長崎造船所所長の荘田平五郎の邸宅として着工、1904(明治37)年に落成しました。
翌年、軍艦千代田艦長の東伏見宮依仁親王が宿泊され、後に「風光景勝を占める」という意味で占勝閣と命名。
(現在非公開)


 
長崎にっしょうかんの観光チケット付きプランいろいろあります。